博士論文要旨(諸田 雪江)

孤立積乱雲内の降水コアと雷活動

諸田 雪江


日本の夏季において、積乱雲が急速に発達し、局地的な大雨や突風、落雷などの激しい気象現象が起こることがある。従来、このような積乱雲の構造を説明する時には、1つの上昇流と下降流によって形成される降水域を示すセルという概念が用いられてきた。気象レーダーで積乱雲を観測すると、その内部には強い反射強度を示す領域が存在する。その領域は降水コアと呼ばれ、その三次元的な構造や時間変化は、気象レーダーの発展と共に解明されてきた。近年、2–5 分間隔で積乱雲内のボリュームスキャンを行うレーダーを用いた観測により、降水コアの寿命は 15 分程度であること、上空で形成された降水コアが落下することにより地上では局地的大雨が発生することなどが明らかとなった。しかしながら従来の気象レーダーでは、わずか 15 分程度の寿命で地上に局地的大雨をもたらす降水コアの時間発展を捕らえることが難しかった。そこで、わずか 30 秒で積乱雲内のボリュームスキャンが実行きでるフェーズドアレイ気象レーダー(PAWR)が開発され、近畿地方には 2 台の PAWR が配備された。そのため、この地方では2台の PAWR の反射強度だけではなく、デュアルドップラー解析による風ベクトルが得られる。また、Broadband Observation network for Lightning and Thunderstorm (BOLT)の雷観測ネットワークも運用されており、この観測装置によって雷放電による電磁波放射源の三次元的な位置情報を得ることができた。従って、近畿地方では積乱雲内の降水コアと上昇流の詳細な時間変化と併せて、雷活動の三次元的な時間変化の観測データを得ることができた。

本研究では、局地的な大雨をもたらした 2015 年 8 月 7 日に近畿地方で発生した孤立積乱雲を解析対象とし、2 台の PAWR の観測データを用いて、積乱雲内の降水コアと上昇流の詳細な時間変化について調べた。そして、その解析結果に基づき、積乱雲の構造を降水コアと上昇流で説明する新しい概念を提案することを目的の1つとする。

次に、積乱雲の構造を降水コアという単位で着目した時、その時間発展は雷活動分布の鉛直変化とどのような関係があるのかについて調べた。積乱雲内において、より強い反射強度を示す降水コア領域には雷発生に重要な役割を担う霰が含まれており、降水コアの時間発展は積乱雲内での雷活動にも影響していることが考えられる。積乱雲上部で観測される特徴的な雷活動の1つとして、わずか 5 分程度の間に雷活動の中心位置が急上昇する Lightning bubble と呼ばれる現象がある。Lightning bubble はどのような積乱雲の内部構造の時間変化によって発生するのか、そのメカニズムはよく解っていない。降水コアの詳細な時間変化を調べることにより、Lightning bubble の発生メカニズムを明らかにすることを2つ目の目的とする。

はじめに、観測された孤立積乱雲の詳細な構造を説明するため、降水セル、降水コア、および上昇流コアを次のように定義した。降水セルは高度 2 km 以上の領域で反射強度 40 dBZ 以上の三次元的に連続した領域、降水コアは降水セル成熟期における平均反射強度からの偏差が+7 dBZ 以上の三次元的に連続した領域、上昇流コアは高度 2 km平面おいて上昇流が 1 m/s 以上の連続した領域と定義した。

解析した孤立積乱雲は、上述した定義で判別すると単一セルだった。この降水セルの成熟期 49 分間には、9 個の降水コアと 5 個の上昇流コアを識別することができた。降水コアは、1つの比較的規模が大きく長寿命な上昇流コアと、その上昇流コアから分岐した3つの上昇流コアの周辺で次々と発生しており、それらの上昇流コアは南西、もしくは南東方向へ移動していた。最も長く観測された上昇流コアの寿命は 73.5 分だったのに対し、観測された降水コアの寿命は 4.5–14.5 分だった。識別された複数の上昇流コアは次々と発生し、下層での南西風の流入によってもたらされた水蒸気を降水セルへと継続的に供給していた。すべての上昇流コアから見積もられた水蒸気供給量は、降水セル体積と比例しており、その相関係数は 0.75 だった。このように、高時空間解像度の観測データを用いることで、1つの降水セルが複数の降水コアと複数の上昇流コアから構成されていたこと、降水コアと上昇流コアはお互いに影響し合いながらも、それぞれ異なる時間発展を遂げることを示した。

次に、高時空間解像度の観測データを用いることで明らかになった降水コアの時間発展と、積乱雲上部での雷活動の鉛直変化との関係について調べた。雷の観測に用いた BOLT は、雲間雷と対地雷の放電路から放出される LF 帯の電磁波を検知する 11 個のセンサで構成されている。雲間雷や対地雷が雷雲内外を進展する時に放出される電磁波を複数のセンサで観測し、各センサに到達した時間差から三次元的に放電源を決定することで、雷の放電路をある程度再現することができる。本研究では、一連の雷の中で最初に観測された放電源を放電開始点とし、放電開始点が時間と共に上昇するものを Lightning bubble と定義した。そして、Lightning bubble 発生時の降水コアと雷雲内のエコー構造の時間発展について調べた。

降水コアの上端高度が最も高い高度に到達し、次第に落下する時、降水コア上部の弱いエコー領域は、降水コアの上昇に引き続き上昇する現象が見られた。上昇するエコー領域は、反射強度が小さな領域ほど長い時間上昇し、より高い高度まで到達していた。本研究では、この現象を Upward reflectivity pulse (URP)と命名する。雷雲内では成熟期から衰退期にかけての 1 時間に 9 個の URP が検出され、各 URP の上昇を追跡できた平均時間は 3.9 分だった。反射強度を弱めながら上昇する 9 個の URP の上端付近では、URP と共に上昇する放電開始点が見られ、URP と時間的に対応した 9 個のLightning bubble が観測された。これらの観測結果は、URP が上昇する時に常に URPの上端付近で電界強度が強まっていることを示唆している。つまり、強い上昇流によって上空に形成された降水コアには様々なサイズの霰粒子が含まれており、降水コア内の比較的大きな霰が落下する一方で、URP の上端付近では比較的小さな霰と氷晶が上昇し続け、落下速度の違いによって霰と氷晶が連続的に鉛直方向に分離することで、より高高度で電界強度が強まり、Lightning bubble が起きていたことが推察できる。

本研究では、フェーズドアレイ気象レーダーによる高時空間解像度の観測データを用いることで、従来、降水セルと上昇流が一対一で対応すると考えられてきた積乱雲の詳細な構造を、降水コアと上昇流コアで説明する新しい概念モデルを提示した。そして、解析対象とした孤立積乱雲は、複数の降水コアと複数の上昇流コアで構成されており、降水コアと上昇流コアは互いに影響を与え合いながらも異なる時間発展を示すことを明らかにした。このように、降水セル内の細かな構造である降水コアの短時間変化を明らかにすることで、雷活動の時空間変化との比較が可能となり、Lightning bubble は降水コア急発達後の数分間のみ、積乱雲上部を上昇する URP によって発生していることを示した。

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