熱帯低気圧に伴う長寿命多重壁雲の維持メカニズム

辻野智紀

発達した強い熱帯低気圧は強風および激しい降水を伴う壁雲を同心円状に複数有することがあり, それらは多重壁雲と呼ばれる. 単一の壁雲を有する熱帯低気圧において, その壁雲の外側に新しく壁雲が形成することで多重壁雲となる. 壁雲では熱帯低気圧に伴う強風の局所的なピークと激しい降水が発生する. 多重壁雲では強風半径がより外側まで拡大し, 降水域も同様に広がる. 先行研究から長寿命の多重壁雲は短寿命の多重壁雲に比べて, 熱帯低気圧の強度が強く, 成熟期での強度変化が小さいことがわかっている. これは, 長寿命の多重壁雲はより長期間に渡って, 強い強度, 広い強風半径と降水域を伴うことを示している. したがって, 長寿命の多重壁雲の維持のメカニズムを理解することは, 熱帯低気圧の強度, 大きさ, および降水の予報にとって重要である. しかし, 長寿命の多重壁雲を伴う熱帯低気圧は統計的に短寿命の多重壁雲に比べて形成頻度が少なく, その維持のメカニズムについてはほとんど研究がない.

本研究の前半では, 熱帯低気圧に伴う長寿命多重壁雲の維持の本質的な力学過程を明らかにするため, 非静力学雲解像モデルを用いた理想化低気圧渦の数値実験と数値解析を行う. この状況下では, 熱帯低気圧が存在する周辺環境場は理想的な状態で維持される. また, 熱帯低気圧構造に影響を与える海面水温の変化や熱帯低気圧の移動などの要素は含まれない. その結果から, 全く新しい多重壁雲維持の概念モデルを提案する. この概念モデルでは, 外側壁雲形成後も活発な内側壁雲の境界層上端で超傾度風状態となっていることが最も重要である. 内側壁雲での超傾度風状態は, その場所の空気塊に外向きの力が作用することになる. この外向きの力によって, 内側壁雲の境界層より上では強いアウトフローが形成される. このアウトフローによって, 外側壁雲の収縮をある半径に押しとどめることで多重壁雲状態を長時間維持させる. また, 発達した内側壁雲による熱帯低気圧中心の顕著に, 広がった暖気核が対流圏上層を安定化させることによって, 外側壁雲に伴う上昇流を抑制し, 壁雲の発達を抑えるように作用している. 本研究で提案される概念モデルは発達した内側壁雲によって多重壁雲の寿命が制御されていることを示唆するものであり, 過去の研究における統計的性質と整合的である.

本研究の後半では, 実際に観測された熱帯低気圧に伴う長寿命な多重壁雲に対して, 非静力学雲解像モデルを用いた数値シミュレーションおよび数値解析を行う. その結果から, 1 事例ではあるが現実的な状況で見られる多重壁雲維持の概念モデルが提案される. この概念モデルでは, 外側壁雲の外側に傾いた構造と, 顕著な非軸対称構造が最も重要である. 外側に傾いた構造により, 外側壁雲形成後も外側壁雲下の境界層を通過する内向き流れが遮断されずに維持される. さらに, 外側壁雲の顕著な非軸対称構造は, 外側壁雲の境界層において浮力や水平収束の相対的に小さい領域, および内向き流れの相対的に強い領域を形成する. この領域では外から供給される空気塊が上向きに移動する量が小さいため, その多くが境界層内にとどまり続け, 外側壁雲の内側まで流される. これらの内向き流れは内側壁雲の境界層まで到達し, 外からの湿潤エントロピーを供給し続ける. このため, 内側壁雲は長時間維持し続けることができる. 加えて, 外側壁雲の非軸対称構造は壁雲の発達, 内向きの収縮を妨げるように作用しており, これによって外側壁雲が長時間維持し続けると考えられる. ここで提案される多重壁雲の長寿命の概念モデルでは, 外側壁雲の構造およびより外側の環境場が多重壁雲の長寿命を制御していることを示唆しており, 前半の研究で提案される概念モデルとは異なるものである.

これら 2 つの研究は長寿命多重壁雲の維持を引き起こすメカニズムについて, 内側壁雲が支配的, すなわち, 熱帯低気圧の中心周辺の構造および力学で制御される場合と, 外側壁雲が支配的, すなわち, 熱帯低気圧周辺の環境場および外側壁雲の構造, 力学で制御される場合の 2 つのタイプを提案し, 内側壁雲による制御と外側壁雲による制御のどちらが卓越するかは熱帯低気圧の強度および周辺環境に依存することを示唆するものである.

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