熱帯低気圧発生の初期過程と環境条件

吉岡真由美

熱帯低気圧の発生する環境条件と、発生のきっかけについて、数値実験により調べた。熱帯低気圧の発生に関するGray(1968) の環境条件は、熱帯であればほとんどの海洋上で満たされているにも関わらず、観測される熱帯低気圧の発生点の分布には偏りがあり、各大洋の西側で偏在がみられる。本研究は、熱帯低気圧が発生する好条件となる環境を構成する気候的要因を明らかにすることを目的のひとつとする。また熱帯低気圧発生の好条件にある環境、熱帯低気圧が多く観測される夏季であっても、熱帯低気圧発生には特定の地域性や周期性はない。このことは、熱帯低気圧発生にきっかけとなる大気擾乱の存在が必要であることを示唆している。その要因として、地球大気に存在する全球規模の振動現象である大気潮汐があげられる。本研究のもうひとつの目的は、熱帯低気圧の発生初期における大気潮汐の寄与を明らかにすることである。

全球規模で起こる大気潮汐と、熱帯低気圧の発達に伴う中心気圧低下の時間変化との関係を調べるには、熱帯低気圧が発生する環境場である大規模場を表現し、熱帯低気圧の特徴的構造を表現できる大規模で高解像度の大気モデルが必要である。本研究では、高解像度の全球大気シミュレーションを高速に実行可能な大気大循環モデルを用いて、水平解像度10 kmの超高解像度の数値実験を実行した。初期値・境界値に気候値を与え、実際の地形を用いて行った、解像度10 km の全球大気シミュレーションでは、観測される熱帯低気圧の特徴をもつ擾乱がシミュレーションされ、中心気圧が発生初期から時間とともに深まる様子が再現された。16 日間の積分時間内にとらえられた4 個の熱帯低気圧の中心気圧の時間変化に、大気潮汐による半日周期の振動が現れていた。この大気潮汐による半日振動は、熱帯低気圧の中心気圧低下に重なって現れ、大気潮汐は熱帯低気圧自身の発達に寄与しないことが示された。

熱帯低気圧発生の環境条件を調べるために、本研究では海面水温の値と分布による依存性に注目し、数値モデルを用いた水惑星実験を行った。この実験は、大気大循環モデルに全球表面が海洋で覆われている条件を与えて大気の振る舞いを調べる数値実験である。熱帯低気圧発生の条件を調べるために、水惑星実験で熱帯低気圧をシミュレーションした。水惑星実験では、季節と海面水温分布を固定し、40 kmの高解像度で長期間積分を実行した。その結果得られた23ヶ月分のデータを発生条件を調べるために用いた。海面水温分布が赤道に関して南北対称のcosine 型を標準実験として、この分布に赤道を中心として局所的に海面水温の暖かい分布(暖水塊) 与えた実験を行った。東西一様で赤道に関して南北対称な海面水温を与えた実験として、標準実験、標準実験から赤道域の高い水温部を南北に広げた場合、海面水温を全体に+3K あげた場合の6 タイプの海面水温を与えた実験を行ったが、どの場合でも熱帯低気圧の特徴を持つ擾乱は検出されなかった。一方、赤道域に+3K の暖水塊をもつ東西非一様な海面水温分布を与えた実験では、大気の循環に東西非対称性が現れ、観測される熱帯低気圧のような擾乱がシミュレーションされた。与える暖水塊の最大温度偏差を+3K から+1K に変えたところ、熱帯低気圧のような擾乱は検出されなかった。+3K の暖水塊を与えた実験では、熱帯低気圧発生は暖水塊の赤道から南北に離れた西側に分布した。この+3K の暖水塊がある実験では、水惑星の両半球で暖水塊を与えた経度を中心とした低緯度域に、数1000 km スケールの低気圧性循環が作られることによって惑星渦度の輸送がおこり、絶対渦度の東西非対称分布が作られる。その結果、暖水塊の西側領域に現れる渦度の大きい領域が、熱帯低気圧発生に好ましい環境となることがわかった。この環境における熱帯低気圧の発生しやすさは、Gray (1975) の発生パラメタでも発生に好条件を意味する高い値の分布として示され、その値は観測される熱帯低気圧発生の環境場と同程度であった。

赤道域に暖水塊を与えた水惑星実験では、熱帯赤道域を伝播する長周期の大規模波動が見られ、暖水塊西側の発生に好ましい場で波動の作る西風が強まったときに熱帯低気圧が発生した。それらのうち、赤道をはさんで南北半球にほぼ同時に発生した2 つの低気圧対は、赤道域に強い西風が約10 日間持続したときに発生した。現実大気では、El Ni?no期に太平洋赤道域で西風バーストが観測される時に赤道に関して対称なTwin Cyclone が発生する。水惑星の熱帯低気圧は、この観測されるTwin Cyclone に類似する。

全球大気モデルを用いた高解像度の数値実験により、西太平洋における台風発生の初期過程に大気潮汐による影響は認められなかった。赤道に暖水塊を与えた高解像度の水惑星実験は、大洋西側の赤道域熱帯に下層の渦度の大きな領域が分布する熱帯低気圧発生に好条件となる環境が存在し、その場にきっかけとなる強い西風が起こるとき、下層の渦から熱帯低気圧が成長していくことが明らかにした。この水惑星実験で示された結果は、現実大気の北西太平洋で観測される台風の発生環境と初期過程を説明する。

[戻る]