地形効果による降水強化過程に関する研究

金田 幸恵

 降水量の水平分布が地形にしばしば依存することは、 これまでにも数多くの研究者により指摘されてきている。 特に山系斜面には多量の降水がもたらされることが多く、 多いときには日降水量が数百mmにも及ぶ豪雨が観測されることもある。 空間的、時間的に集中した多量の降水は、河川の氾濫、土砂崩れなどを通して、 しばしば人命にも関わる重大な災害を引き起こす。 降水の強化、集中化に対する地形の影響に関する研究は、 災害防止を含めた豪雨の研究や予測の観点ではもちろんのこと、 地球上の水循環の視点からも大変有意義である。
 地形が周辺の降水に与える影響は、地形の規模や形状、 あるいは取り巻く大気成層状態や一般場などにより種々多様である。 地形の影響により降水が強化される過程として、 これまでseeder-feeder過程を含めて様々な研究がなされてきた。 しかしながら、地形の効果を受けた降水システムの3次元的な構造、 および地形効果の影響を受けて降水システムが変質する過程についての研究は、まだまだ少ない。 降水強化における地形の果たす役割、 すなわち地形効果による降水強化の過程を解明するためには、 地形が周辺大気場に与える影響、地形効果を受けた雲および降水システムの構造、 それらの雲および降水システムにおいて降水が強化される過程などを研究する必要がある。
 本論文では、地形効果による降水強化の過程を、 地形の影響を受けた降水システムの3次元構造、 および地形の影響を受けて降水システムの構造が変化する過程を、 山系などの風上と風下に分けて、観測的手法と数値シミュレーションにより総合的に研究した。 風上の降水強化については、 そのような降水強化がしばしば起こる紀伊半島南東域を対象として調べ、 また風下の降水強化については、屋久島から種子島にかけての海域を研究対象域に選んだ。
 まず、ドップラーレーダ観測および数値シミュレーションによる 紀伊半島南東域における事例解析に基づき、 山系風上での地形効果による降水強化が調べられた。 山系の風上側の降水は、地形効果によって既存の対流性降水雲も変質されながら強化される。 山系の風上側の降水強化に関して本論文で示された主な過程は、以下のようにまとめられる。
(1) 海上から山系に向かう風が大気下層で卓越する場合、 特にこの風が強い場合、山系の地形効果は山系斜面のみならず その風上側の海上数10 kmにも及び風上の中層に定在波による上昇気流域が広く形成される。 本論文の数値シミュレーションの結果によると、下層の風が20 m s-1 以上の場合は山系の風上の中層に5 cm s-1以上の上昇気流が形成され、 この上昇気流は風がそれ以下の場合にはみられなかった。 海上を移動してくる対流雲がこの上昇気流域にさしかかると、 対流雲上部で上昇気流が強化、あるいは形成される。 強化された、あるいは形成された上昇気流域の中で形成、 成長した降水粒子は強い風に乗って相対的に対流雲の風下側(対流雲の進行方向)に流され落下し、 対流雲内で降水形成を促進することにより降水を強化する。
(2) (1)の他に、山系風上の海上の大気下層には水平収束域と山系から 海上の対流雲へ相対的に流入する流れが形成されており、 それによって対流雲の前部に新しい雲が形成される。 この雲に(1)で形成された降水粒子が落下することにより、降水がさらに強化される。 実際にドップラーレーダ観測により得られた水平風を時間平均した結果、 海岸線と平行して強い収束域(10-4 s-1以上)が確認された。
(3) 降水粒子を振り落として上陸する対流雲は、 海岸付近での降水粒子の落下に伴う効果(unloading)と 山系から相対的に吹き込む気流により成長する。この再発達により形成、 成長した降水粒子が山系斜面で形成された地形性の雲に供給され、 seeder-feeder過程を通して広域での降水を引き起こす。 対流雲そのものの降水より長時間降り続くことを通して山系斜面に多量の降水がもたらされる。
 一般に雲が形成されてから降水粒子が形成されるまで、 降水が短時間で形成されるwarm rain processにおいても20分近くかかる。 しかし、本論文の事例解析では、実際のレーダエコーの変化として、 非常に短時間での強化とbroadeningが観測された。 異なる雲の雲粒、あるいは雨粒が混合する場合、 粒径分布の違いによって水滴の併合による成長速度が大きくなることが考えられる。 対流雲前部の新しい雲と山系斜面の地形性の雲そのものはレーダによって観測され得ないものの、 レーダエコーの短時間の強化とbroadeningは、 海上においては対流雲上部後方で形成、成長した降水粒子が対流雲前部の新しい雲へ、 山系斜面においては再発達した対流雲の降水粒子が 山系斜面の地形性の雲に落下し降水効率を増大させたことを示唆している。

 さらに、本論文では、屋久島周辺海域における ドップラーレーダ観測および数値シミュレーションによる事例解析に基づき、 屋久島(海上の孤立峰)の風下での地形効果による降水強化が調べられた。 特に、南下する既存のバンド状降水システム自体の地形効果による変質と、 地形効果によって孤立峰の風下に形成、 発達した対流性降水雲との相互作用による降水強化が示された。 その過程は下記のようにまとめられる。
(1) 大気下層に湿潤な強い風が卓越するとき、 孤立峰の周囲には、まわり込む流れが形成される。 この孤立峰によって逸らされた気流と孤立峰の影響を受けていない一般風がぶつかる結果、 孤立峰の北海上下層に10-5 s-1以上の水平収束域が形成される。 これは20 cm s-1前後の上昇気流を引き起こす。 この収束域の風下10 km付近で次々と対流雲が発生し風下へ流されることによって、 下層の風向に沿った雲列が形成され、さらに雲列内で降水粒子が形成され、 孤立峰の風下に地形起因の降雨がもたらされる。 事例解析と数値シミュレーションから、 孤立峰の周囲をまわり込む流れが卓越する条件として、 風速、大気の安定度と山の高さにより決まるフルード数が0.3〜0.7であることが示された。
(2) このとき移動してきた降水システムが孤立峰に接近すると、 孤立峰付近で孤立峰の周囲をまわり込む風によって降水システム下層の水平収束が強化される。 その結果、降水システム自体の対流活動が活発化し、風下側での降水が強化される。
(3) (1)と(2)が同時に起こった場合には、 孤立峰によってその両側に逸らされた2つの気流の合流点で、 風下に形成された列状雲システムの雲粒、雨粒と移動性の既存の降水システムの雲粒、 雨粒が混合し、併合過程の促進により効率よく降水がもたらされる。 この現象は、レーダ観測ではレーダエコーの融合として観測される。
 上記の降水強化は海上の対流雲についてのものであり、 warm rain processなどの効率的な降水形成が起こっていることも重要であると考えられるが、 陸上の一般的な孤立峰の風下でも、下層の風が孤立峰を回り込む条件が満たされれば、 移動してくる降水システムにおいて同様の降水強化がみられると推測される。 山系の形状や規模などにより降水強化の分布もさまざまに変わると考えられるが、 基本的な地形の1つである孤立峰の風下での降水強化が示されたことは、 山系風下の地形による降水強化の研究において有意義である。
 これまで、移動してくる降水システムの地形効果による変質に関する研究は非常に少ない。 本論文における研究成果の1つは、移動してくる既存の対流雲システムの降水が、 地形効果によるシステム自身の変質と地形効果によって形成される 他の降水雲との相互作用を通して強化されることを示した点である。 つまり、山系などの地形効果により局地的に降水雲が形成され、 降水が局地的にもたらされるのみならず、 移動してくる対流雲システムの降水が山系などの周辺で強化されること、 そのような過程が山系などの風上、風下の両方で起こることを、 その条件も含めて明らかにしている。

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