平成20年8月28日から29日にかけて、東海地方に激しい降水がもたら された。気象庁のAMeDASによれば、8月28日から29日の2日間の積算 降水量は愛知県の岡崎で304.5 mm、一宮で240.0 mm、名古屋で202.0 mm に及んだ。1時間降水量でも岡崎で8月29日の01時00分〜02時00分の 1時間に146.5 mmという、全国の観測史上第7位となる降水量を記録 した。これらの日には関東地方でも激しい降水による災害が発生し たため、気象庁はこれらの大雨を「平成20年8月末豪雨」と命名した。 本研究では、このような激しい降水をもたらした降水システムの構 造を、名古屋大学に設置された新型マルチパラメータ(MP)レーダと、 雲解像モデルCloud Resolving Storm Simulator (CReSS)を用いて調 べた結果について報告する。
MPレーダの観測結果から、この降水システムは南南西−北北東方向 に連なる線状の降水システムであり、北西から南東に向かっておよ そ7 m/sというゆっくりとした速度で進んでいたこと、降水システム の下層には南東風と北西風による収束域が存在していたことが示さ れた(図1)。MPレーダで観測できるレーダ反射因子差(ZDR)より、降 水システム中には非常に大きな粒径の雨滴(平均直径で2.7 mmを超え るもの)が存在していたことも示唆された。実際に、名古屋大学にお ける雨滴の粒径分布の観測結果からも、このような大きな雨滴の存 在が観測されており、この降水システムにおける多量の降水生成に は、大きな雨滴の形成が影響していたと考えらる。
一方、雲解像モデルCReSSを用いて、中部日本域を対象とした水平解 像度2 kmでの再現実験を行い、この降水システムの再現を試みた。 再現された降水システムは三重県北部の養老山地付近で発生した後、 北東方向に雨域を伸ばしながらゆっくりと南東進した。降水システ ムの発生位置、進行方向・速度、1時間当たりの最大降水量(図2)は 気象庁レーダによって捉えられた降水システムの特徴を高い精度で 再現していた。シミュレーション結果より、降水システムの南東側 下層からの暖湿気塊(高相当温位気塊)の流入と、降水システムが形 成した相対的に冷たく乾燥した気塊(低相当温位気塊)が下層で収束 することにより降水システムが維持されていたことを確認した(図3)。 降水システムの南東進は、降水システムにより形成された低相当温 位気塊が重力流のように進行したことによるものであると考えられ る。しかしながら、南東側の暖湿気塊と低相当温位気塊の温度差が 小さかったために、その進行速度は大きな値とならなかった。降水 システムがゆっくりと進んだことによって、愛知県各地で激しい降 水がある程度長い時間(2〜3時間程度)続いたことが、降水量の増加 に影響したと考えられる。
2004年7月18日0時から12時(日本標準時)にかけて、激しい降水が福 井県嶺北地方にもたらされた。この降水により福井県嶺北地方で洪 水や土砂崩れなどの災害が発生したため、この降水は「平成16年7月 福井豪雨」と命名された(以下、「福井豪雨」とする)。気象庁レー ダAMeDASの時系列より、福井豪雨は7月18日01時00分から03時00分と 05時00分から12時00分の2つのステージに分けられた。前者(第1ステ ージ)の全時間帯から後者(第2ステージ)の初期にかけては線状降水 帯が見られ、降水量のピークが観測された07時以降、線状降水帯は 団塊状の降水帯へと変化した。
このような特徴をもつ福井豪雨の再現を、雲解像モデルCReSSを用い て試みた。数値実験は7月18日03時を初期値として水平解像度1 kmで 実施した。数値実験による3時間積算雨量は、降水分布・降水量とも 気象庁レーダAMeDASによる観測値をよく再現している(図4)。また、 福井県嶺北地方周辺における1時間降水量についても50 mm hr-1を超 えるような最大値や時間変化を再現していると考えられる(図5)。こ のシミュレーション結果を用いて、福井豪雨の形成・維持プロセス の解析を行った。維持プロセスを明らかにするために、日本周辺の 地形を改変した感度実験と、雨滴の蒸発が効かない感度実験を実施 し、福井豪雨を再現した実験(標準実験)の結果と比較を行った。
福井豪雨をもたらした降水域は、隠岐諸島周辺で発生していた。気 象庁領域客観解析データ(RANAL)やCReSSの再現実験の結果から、発 生領域周辺では鉛直成層が対流不安定の状態であり、かつ下層に弱 い収束域が存在していた。このような、対流が発達し易い環境場に おいて発生した降水域が、隠岐諸島周辺から東進して福井県周辺に 上陸した。降水域が日本海上を移動している段階では、降水システ ムを維持するための下層の高温位気塊はシステムの後面(西側)から 流入していたが、バックビルディング型の構造ではなく、降水シス テム内に発生した降水セルが中層の西風に流されるだけであった。 一方、降水システムが福井県に上陸する前後から、福井平野の西に 位置する標高数百メートルの山地の影響により、およそ1時間程度に わたって降水システム下層に収束域が維持された。この結果、降水 システムの上陸後は下層の収束域の西端(進行方向後面)で新しい降 水セルが次々に発生し、バックビルディング型の構造を呈した。降 水システムがバックビルディング型の構造に変化したために、福井 県には次々に降水セルが流入し、多量の降水がもたらされたと考え られる。
台風の特徴的構造として、暖気核や眼の壁雲が挙げられる。本研究 では、台風の中心部の構造に注目し、雲解像モデルCReSSを用いて発 達期の台風の再現実験を行なった。その結果を用いて、台風の発達 に対する暖気核の寄与、暖気核を形成する気塊の起源および中心付 近の気流構造と気塊に作用する力を明らかにすることを目的とする。
対象としたのは台風0712号である。シミュレーションの結果、ベス トトラックに近い台風の経路や中心気圧の低下量が得られた。また、 暖気核や眼の壁雲などの台風の構造や、下層の吹き込み、眼の壁雲 域の上昇流、上層の吹き出しといった台風の力学的な特徴が再現さ れた。暖気核は計算開始24時間後には高度15 km付近に形成されてお り、大きな正の温位偏差(14 K以上)が見られた(図6)。この正の温位 偏差に伴って900 hPaから50 hPaまでの層厚のうち、200 hPaから100 hPa までの層厚が顕著に増加していることが示された。50 hPa面の高度 はほとんど変化していないため、この層厚の増加が900 hPa面の高度 の低下、そして大気下層における気圧の低下に寄与していると考え られる。
暖気核を形成する空気の起源を調べるために、気塊のバックトラジ ェクトリー解析を行なった(図6)。バックトラジェクトリー解析の結 果、暖気核は対流圏下層で吹き込み眼の壁雲域で上昇してきた気塊 と、成層圏下層から沈降してきた気塊の両者で形成されていること が示された。図7に下層起源の気塊の温位・相当温位の時間変化を示 す。対流圏下層で吹き込んだ空気塊は、眼の壁雲域で上昇する際(計 算開始18時間から20時間付近)に水の相変化に伴う非断熱加熱によ り温位が急激に高くなった。この結果から、眼の壁雲域で暖められ た気塊の中心付近へ吹き込みが暖気核の形成に寄与していると考え られる。
次いで、対流圏下層で吹き込み眼の壁雲域で上昇する気塊が、どの ような力学過程を経て上層で外側に吹き出すのか、あるいは暖気核 に流入するのかを検討するために、フォワードトラジェクトリー解 析を行ない、気塊にかかる力を調べた。解析の結果、眼の壁雲域で 上昇した気塊のほとんどは上層で外側へ吹き出しており、暖気核に 流入する気塊の割合はわずかであった。下層で吹き込む気塊には気 圧傾度力が主にかかっているが、眼の壁雲域で上昇する直前に遠心 力の大きさが気圧傾度力を上回るために、動径速度が内向きから外 向きへと変化する。壁雲下層の収束場は気塊の動径速度の急激な変 化によって生じ、気塊に働く遠心力により外向きに傾いた上昇流が 形成されると考えられる。この特徴は上層で外側に吹き出す気塊と 暖気核に流入する気塊に共通であった。対流圏上層では、ほとんど の気塊に対して気圧傾度力よりも遠心力が大きいために外側に吹き 出すが、暖気核に流入する気塊に対しては気圧傾度力の大きさが遠 心力よりも大きな値となっていた。
多くの領域モデルは矩形領域を計算領域としている。一般に領域モ デルでは、矩形領域を1次元または2次元に分割することで並列計算 が実行される。一方、計算の対象にあわせた領域は矩形でないこと が多い。効率良く計算を行うためには、任意形状の計算領域を用い ることができることが望ましい。「タイリング領域法」は、雲解像 モデルにおいて任意形状の領域でシミュレーションを行う方法であ る。この方法をCReSS Ver. 3に導入した。この方法を用いることに よって、台風の経路に沿うような矩形でない領域を対象としたの並 列計算が可能となる。この方法では矩形の計算領域を一つの「タイ ル」と呼び、任意の形状にタイルを張りつけるように計算領域を設 定する。任意の数のタイルを用いることができ、複数のタイル群や 孤立したタイルがあっても計算は可能である。各タイルをサブドメ インに分けることによりタイル内での並列計算を行い、さらにタイ ル間でも並列計算を行う。これを雲解像モデルの「重並列化」と呼 ぶ。このようにしてタイリング領域法の計算が行われる。
タイリング領域法を用いた計算の例として台風のシミュレーション 結果を示す。長距離を移動する台風の経路に沿って、計算領域をタ イリングし、長期間の計算を行うことが可能となる。ここでは2004 年台風18号についてのシミュレーション実験の結果を示す。この実 験ではタイリング領域法の計算精度を確認するために、全領域を計 算したものと比較した。それぞれの計算の水平解像度は約2 km、初 期値を2004年9月1日00時(世界標準時)とし、9月8日00時までの7日間 (604800秒)の積分を行った。初期値と境界値は気象庁領域客観解析 (RANAL)から与え、海面水温は観測値、地形は実地形を与えた。図8 は初期値から6日後(518400秒)にあたる2004年9月7日00時の結果を、 タイリングしたもの(図8a)と、全領域を計算したもの(図8b)につ いて、地上降水量と海面気圧および水平速度場について比較したも のである。タイリングした計算領域は図8aの風ベクトルが存在する 非矩形の領域である。これらの2つの結果は、特に降水分布について、 ほとんど同じ結果を示しており、タイリング領域法を用いた計算の 結果として発生する多くの角部分の計算が結果にほとんど影響しな いことを示している。同時刻の気象庁レーダーAMeDASと比較すると、 台風の中心位置はほぼ観測に対応しており、台風に伴う九州西岸か ら南部にかけての30 mm hr-1を超える降水域もよく再現されている。 台風周辺とその北側の降水域、四国山地周辺のなどの強い降水域も 観測とよく対応している。CReSSのシミュレーション結果における台 風の経路は、気象庁によるベストトラックにほぼ沿っていた。これ らの結果から、重並列化を用いたタイリング領域法による計算が正 しく行われていることが示される。
タイリング領域法は台風だけでなく雲解像モデルに多様な拡張性を 与える。たとえば日本列島に沿う領域や、さまざまな気象現象に合 わせた領域の設定などを行うことができるようになる。
降水システムにおける対流性降水域の最小構成単位である降水セル の一般的な特性を調べるためには、降水イベント毎の事例解析では なく統計的な解析を行う必要がある。本研究では降水セルを対象と した統計解析を行うための基礎的なツールとして、降水セルを3次元 かつ高精度で検出することができるアルゴリズムを開発した。
本研究では図9に示すように降水セルを定義する。降水セルの検出に 際しては、反射強度の値に対して各層毎に2階微分の1次近似の値を 用いて降水セルの中心部を特定し、中心部を鉛直方向に連結した後、 降水セルの領域を確定するという方法を取っている。
梅雨期の東アジア域を対象として実施された観測プロジェクトにお いて取得されたドップラーレーダデータに対して、本アルゴリズム を適用して検出精度の検証を行った。目視で検出された降水セル(合 計で811個)の降水セルに対して、本アルゴリズムを適用して検出さ れた降水セルとの比較を行った結果、98%以上の高い検出精度を示し た。このことから、降水セルに対する統計解析を行うに当たって、 本アルゴリズムは十分に信頼できる検出精度をもつと考えられる。
次いで、デュアルドップラー解析から得られた3次元気流場に対して 本アルゴリズムを適用して上昇流のセルと下降流のセルを検出した。 3次元で検出された降水セルと上昇流・下降流のセルが重なった部分 の体積を用いて、降水セルの発達段階(発達期・成熟期・衰退期)の 判別を試みた。図10に降水セルの発達段階の判別方法の概念を示す。 デュアルドップラー領域内で発達から衰退までの大半の時間にわた って観測された2つの降水セルを追跡し、その気流構造の変化から目 視で発達段階を判別した結果と、本アルゴリズムによる判別結果の 比較を行ったところ、両者は整合的であった。
本アルゴリズムを用いて、2006年梅雨期に宮古島周辺におけるデュ アルドップラー解析の結果から降水セルの発達段階の判別を行った 結果、発達期183個、成熟期154個、衰退期124個の降水セルを検出し た。発達段階毎の降水セルの体積を調べたところ、成熟期の降水セ ルの体積が発達期や衰退期に比べて大きな値となることが示された。 降水セルのエコー頂高度は発達段階が変わっても大きく変化しなか った一方、成熟期の降水セルの面積はどの高度においても発達期や 衰退期に比べておよそ2倍であった。このことから、降水セルの体積 は面積の鉛直プロファイルに依存すると考えられる。
対流境界層と積雲による水蒸気の鉛直輸送は深い対流の発生・発達 に対して重要であることが指摘されている。しかしながら、陸面上 において乾燥対流に強制されたforced cumulusから正の浮力をもつ active cumulusへと移り変わる過程および積雲と大気環境場との相 互作用については十分な理解がされているとは言い難い。本研究で は、高解像度の数値実験を行うことにより、陸域における対流境界 層と積雲の発達過程および積雲の発達に対する大気環境場や陸面状 態など外的要因の影響を明らかにすることを目的とする。
数値実験の設定に当たっては、Lower Atmosphere and Precipitation Study (LAPS)で2004年6月20日に中国安徽省寿県で行われていた大気 境界層観測の結果を参考にした。ウィンドプロファイラなどの観測 結果から、この日は積雲の発生が示唆されている。数値モデルはCReSS を用いた。解像度を水平100 m、鉛直30 m、計算領域を20 km×20 km と設定し、側面境界条件として周期境界条件を用いた理想実験を行 った。
地表面フラックスは顕熱フラックスの値が小さく潜熱フラックスの 値が大きいという水田の特徴を示し、乾燥対流による鉛直速度の分 散は地表面付近の浮力フラックスに対応して、正午付近にピークを 持つ日変化を示した。積雲は09時20分に発生した(図11)。当初はforced cumulusのみが存在していたが、12時20分に自由対流高度(LFC)が急 激に低下したことに対応して、active cumulusも存在する状態へと 変化した。このLFCの低下は地表面付近の相当温位の増加に加えて、 逆転層下端の飽和相当温位の極小値の減少に起因していた(図12)。 Active cumulusの発生後は、上方に輸送される雲水が逆転層内で蒸 発することにより、逆転層が加湿・冷却され、逆転層高度が急激に 高くなった。
感度実験の結果、初期値の水蒸気混合比の増加、静的安定度の減少、 地表面蒸発効率の増加に伴い、地表面付近の相当温位と逆転層下端 の飽和相当温位の時間変化の様子が変わり、active cumulusのオン セット時刻が早まることが示された。Active cumulusは逆転層高度 を高くする効果が大きいため、オンセット時刻が早まった場合には 逆転層高度が高くなった。逆転層高度が高くなることにより、水蒸 気は下層のみに蓄積されずに、逆転層高度まで輸送される。このた め、active cumulusの発生の有無やオンセットの時刻が大気環境場 により影響される一方で、active cumulusが水蒸気の鉛直分布(大気 環境場)を変えるという相互作用が示された。