「沿岸の海洋物理学」
宇野木早苗 著
東海大学出版会 (1993年10月、672頁、14420円)
(気象学会誌「天気」に掲載されたものを改訂したもの)
本書は、沿岸海洋の物理過程に関して、ここ数十年に得られたの研究成果を
総合的・体系的にまとめた「教科書」ともいえる著書である。内容は、波動
と流動の諸現象を中心として、理論面では基礎から丁寧な説明を与え、それとともに
実際の現象の豊富な実証例を挙げて沿岸の諸過程について説明してあ
る。全部で672ページにわたる内容は、単に海洋物理学にとどまらず環境学、
自然災害科学にも多くのまとまった知見を与えるものである。評者は海洋物
理学については門外漢であるが、地球流体という観点から
海洋は大気と共通する点が多くあり、また現象をエレガントに定式化して理
論的に説明してある点など大変興味深く、最後まであきることなく通読させられた。
本書の第1の特長は、著者が意図して書かれたように広い分野の読者が読む
ことのできるように、基礎的な内容から高いレベルの内容まで特に理論面で
丁寧に説明してあることであろう。この意図は第1章の「序論」のところで
流体の運動
方程式からはじめられている点からも読みとることができる。そればかりで
はない。基本的に海洋物理学の著書であるから、そのほとんどの内容につい
て現象の定式化から理論的な説明が展開されるわけであるが、決して天下り
的な結果の説明はされておらず、それぞれの章で必ず基礎から解説が始めら
れている。このため本書を読むだけで内容が理解できるような形になっており、
大変読み易くかつ深い理解が得られるようになっている。
第2の特長は理論に続いて多くの観測例を示して
あり、理論と現象の理解を一本化して内容が進められている点である。あとが
きにもあるように30周年を迎えた日本海洋学会沿岸海洋研究部会の活動に
より得られた研究の成果を整理しておくという意図
もあったのであろう。日本付近を中心とした沿岸の具体的事例の研究が多く
まとめられている。このため本書を読めばこの分野に関して現在までの研究
の到達点がわかるようになっている。
第3に、これも著者が意図された目的と思われるが、こ
れまでの研究成果をまとめた上で、さらに未解決の問題点を明らかにしてあ
る点が特長である。理論と観測の間にあるギャップや、理論の未熟
な点、観測の不十分な点が随所に明確に述べてある。これは、これまでの研究
を整理しさらに今後の研究の焦点を明確にしてくれるもので、特に若手の研究
者には指針となるものである。
本書の具体的な内容は次のようなものである。第1章の「序論」に続いて第
2章から第5章まで成層を考慮しない場合の波動と流れについてまとめてあ
る。第2章では、まず長波の線形論から始まり、次に地球回転の効果による波、
有限振幅の波について述べられている。第3章では潮流と潮汐について多く
の実例を示しながら解説してある。第4章では津波とセイシュについて、第
5章では波浪と海浜流についてまとめてある。津波のところでは昨年(1993
年)7月12日に発生した北海道南西沖地震にも言及してあり、著者の最新
のものをまとめようとする意欲が現れている。また海浜流のところでは離岸
流などの興味深いトピックが取り上げられている。
第6章と第7章は風と大気
擾乱による海洋の波と流れについてである。吹送流についてはエクマンの吹
送流などの基本的なことから、様々な地形や水深における吹送流について詳し
く述べてある。大気擾乱と波については、気象擾乱と高潮、気象擾乱と陸棚
波を中心として解説してある。
著者が前書きに述べているように、「これまで余
り考慮されなかった地球の自転や、海洋の密度成層の効果」が第8章と第9章に
まとめられている。第8章の「成層海域の波と潮汐」では内部波と内部潮汐波
について詳しく解説してある。第9章の「成層海域の循環」では物質輸送の
方程式から始まり、熱や淡水の付加や外力の作用で密度成層の場が変化する
ときの循環を考察している。特に拡散と対流について解説してあり、熱塩循環、
沿岸湧昇、海洋フロントなどの興味深い内容がそれらに関連してまとめてあ
る。また、流れの不安
定性についてもここで述べてある。これら2つの章の応用
として、第10章では「海水の混合と交換」について述べてある。内部波に
伴う混合、二重拡散対流、乱流と拡散などについて理論を説明し、実際
の海域や湾における海水の交換について実例を挙げながら解説してある。
以上の章では沿岸海洋の物理過程の様々な素過程について解説された。本書
の最後の第11章では「特徴的な沿岸の物理環境」として日本を中心とする沿
岸環境の実体の特徴的な例を挙げてある。それには、黒潮・親潮などの我国
周辺の海流、干潟やサンゴ礁などの海岸、国内の湾や沿岸などについて、そ
れらの海洋物理学的特徴をまとめてある。
先にも述べたように本書はその内容を本書のみで理解できるように著者は配
慮して書いてある。そのあらわれとして、本書には30項目に及ぶ付録が付
してある。その内容はベクトル記号、KdV方程式、Q値などの基本的なものか
ら、浅海域の波の要素を求めるプログラムや2次元長波方程式の数値解法な
どの実用的なもの、2次元シア流の不安定性、傾圧不安定、ソルトフィンガー
の発生などの流体力学的なものなど非常に多岐にわたっており、本書の理解
の助けとなるばかりでなく、付録だけでも有用な内容を含んでいる。一方で、
非常に多くの参考文献が章ごと
に挙げてあり、より深く調べたい時にそれが可能になるように配慮してある。
海洋学を40年余も研究されてきた博士の書かれた本書を評するには、評者
は余りに若輩者であるが、先に述べた特長を持ち体系的にまとめられた本書
は沿岸の海洋物理学について総合的な教科書になり得る著書であり、本書を
読めばこれまでの沿岸海洋物理学に関する研究成果の大方がわかるように思
われる。海洋学を研究する方々だけでなく、環境学、自然災害科学ある
いは「天気」の多くの読者のような気象を研究する方々にも是非、精読をお
薦めしたい著書である。
研究紹介(一般向内容)
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