「メソ気象の基礎理論」
小倉義光著
東京大学出版会
(海洋学会誌に掲載されたものを改訂したもの)
ここに紹介します「メソ気象の基礎理論」は、気象学の中
でも特にメソスケール(中規模)の気象学についての著書です。メソ気象というのが何かということは、本書の第1章に詳しく書いて
あります。大気中に発生する現象は様々なスケールを持ちますが、大きく分け
て大規模または地球規模の現象と、境界層の乱流などの小規模の現象との間の
現象をメソ気象と云い、だいたい1000kmから1km程度の水平スケールを持つも
のを指します。メソ気象学は局地的な短時間予報に直接関係する領域であり、
「学問的にも興味ある現象が未解決のまま多く残されている」分野です。メソ
気象の研究の歴史はまだ浅く、特にわが国ではその教科書的著書はあまりあり
ませんでした。本書はメソ気象の基礎理論の教科書として書かれたもので、メ
ソスケール気象学を専門とする私にとっては、やっとわが国でも「メソ気象」
という言葉を題名にし、その理論を専門にした著書が出たということがたいへ
んうれしく思うと同時に、これで「メソスケール気象学」という言葉が十分な
市民権を得て一般に普及したのだなという感慨がわきます。この分野で代表的
な大家の著書を書評するのは私にはたいへんせん越に思われますので、ここで
は通読した印象を交えて内容を紹介してみたいと思います。
先にも述べましたように本書はメソ気象学を初めて学ぶ読者のための教科書
として書かれたものです。著者ご本人から伺いましたところ「何度も書き直し
て、そのたびに大幅に改訂し、長い時間をかけて書いた。」ということでした。
また様々な大学での講義の経験を生かして書かれただけあって、全体を読んで
教科書として非常に高い完成度をもつものであるという印象を受けました。理
論を扱うところでは当然数式が出てきますが、それには省略がなく、理論の説
明にも飛躍がなく、本書だけで理論のエッセンスが理解できるように書かれて
います。また、内容全体を通して過去の知識を整理したというものではなく、
随所に最新の知見がちりばめられており、これを読むだけで最近までの知識が
理解できるようになっています。「基礎理論」という題名だけあって、メソ気
象学の基礎的な原理や概念が統一的、体系的に書かれてあります。特に現象の
物理過程が理解できるよう、また数式の持つ物理的な意味が理解できるように
注意深く説明がされています。
本書はまず第1章で「メソ気象」の定義と具体例を与え、本書の主題とする
ところを明確にしてあります。さらに本書で用いる基礎方程式系を導き、理論
の基礎をまとめてあります。本書で主に用いられる基礎方程式系は非弾性流体
とブジネスク流体についてのものです。非弾性流体はブジネスク流体と圧縮流体の間にあるような
近似を持つ方程式系で、気象では背の低い現象にはブジネスク流体系を用い、
積乱雲のような深い対流を記述するときには非弾性流体の方程式系を用います。
第2章以降の章は大きく2部に分けて書いてあり、第1部は大気中の水蒸気が
本質的でない「乾いたメソ気象」について、第2部は降水を伴う「湿ったメソ
気象」について記述してあります。
第1部は内部重力波の理論(第2章)から始まり、波の振動と伝播について
の基礎理論が述べてあります。静力学系と非静力学系が系統的にまとめてあり、
その違いと特性が明確にされています。続いて、内部重力波の一つである山岳
波の理論(第3章)が線形理論を基礎として説明されています。この章ではさ
らに有限振幅の山岳波とそれに関連した現象、山岳波による運動量の輸送が大
規模な流れに与える影響などについても書かれています。続くふたつの章は力
学的不安定論についての章で、シア不安定の理論(第4章)と対称不安定の理
論(第5章)です。シア不安定については、ケルビン・ヘルムホルツ不安定に
重点をおいて書いてあり、この章ではそのほかに水平ロール渦について述べて
あります。次の章の対称不安定というのは慣性安定でかつ静的安定な大気に起
こり得る力学的不安定で、たいへん巧妙な理論です。本書ほどこれについて系
統的に分かりやすく書いてある教科書を私は他に知りません。
不安定成層な流体では鉛直対流が起こりますが、これに対して安定成層の流
体中の対流は水平対流となります。第6章ではその例としてヒートアイランド
現象と海陸風が取り上げられています。この章で興味深いのはスケールアナリ
シスという理論的手法により、これらふたつの例の対称的特徴が浮き彫りにさ
れている点で、現象の物理的特徴を数学的記述で解析する方法として、エレガ
ントに理論が展開されています。第1部の最後の章、第7章は重力流で、その
特徴と大気中の重力流に似た流れの例をシミュレーションの結果も交えて述べ
てあります。重力流の理論的考察については付録Dにあります。このように理
論のやや専門的すぎる数学的記述は付録にまとめてあるのも本書の特長で、こ
のほかに「非弾性近似とブジネスク近似の導き方」(付録A)、「不連続な境
界面におけるK−H波の線形理論」(付録B)、「K−H不安定の必要条件」
(付録C)があり、どれも数学的記述が丁寧に書いてあるのがありがたい点で
す。
第2部は「降水を伴うメソ気象」で、大気中の水蒸気の相変化が本質的なメ
ソ気象についての内容です。「まえがき」にも述べられているように、第2部
は第1部とかなり記述の仕方が異なり、「主に観測と数値実験の結果に基づい
て、降水を伴うメソ擾乱に含まれている素過程を探る」という内容になってい
ます。積雲対流の力学に力点が置いてあり、複
雑で多様なメソ気象の素過程を系統的に丁寧に説明してあります。第2部の初
めの第8章は、雲のモデルを用いて降水の物理過程の説明から始まり、湿潤大
気の熱力学がまとめられています。それに続く第9章の「雷雨の構造と力学」
では、雷雨の3形態である単一セルの雷雨、マルチセルの雷雨、そしてスーパー
セル型雷雨について述べてあります。スーパーセルは大きな鉛直渦度を持ち、し
ばしば竜巻を伴いますが、この大きな渦度の生成の力学を、ヘルムホルツの渦
定理と渦度方程式を用いて説明してあります。最後の章の第10章は「メソ対
流系」です。メソ対流系とは、第9章で記述してある雷雨をもたらすような積乱雲がたくさん
集まってできたもので、メソ気象としては最も興味あるものの一つです。メソ
対流系の中でもよく研究されているのはスコールラインで、この章では熱帯、
亜熱帯、温帯のスコールラインの例が示されています。このスコールラインの
力学について、代表的研究の一つである著者らが行った数値実験の結果を用い
て説明してあります。もう一つのメソ対流系の例としてはメソスケール対流複
合体が述べてあります。さらにこの章の最後には大規模な場、特に温度と湿度
の場をメソ対流系が変えることを定量的に扱ってあります。
以上、内容をおおまかに紹介してきました。よく多くの教科書では引用文献
を省略してページ数を減らしたりしますが、この本ではすべての引用及び参考
文献が最後に掲載してあり、さらに勉強したい人はそれらを参考にできるよう
になっています。もちろん基本的には本書だけで内容が理解できるよう注意深
く書かれていることはさきに述べたとおりです。「はじめに」にのべてありま
すように「本書はメソ気象の骨格を描こうとしたもの」であり、メソ気象の基
礎についての教科書として書かれています。著者は「心残りといえば、本書で
は梅雨期の集中豪雨と竜巻について、詳しくはのべていない」と書いておられ
ます。これはこれらの現象についての研究が十分成熟していないという理由か
らです。できるだけ近い将来、これらについてもまとまった著書を記していた
だけることを期待しているのは決して私だけではないはずです。いずれにしま
しても本書は気象を学ぶ者にとっての必読の書であり、ぜひ精読をお薦めする一冊です。
研究紹介(一般向内容)
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